28日は全般に曇りでしたが、午後を中心に時折晴れ、最高気温28.1℃・最低気温19.7℃でした。

本日も「フィルムギャラリー」です。今回も1999年初夏旅の話で、快速「はなさき」利用と納沙布岬観光を中心にお伝えします。

昨日の日記で更新当初、前日の行動を「札幌宿泊」と書いていましたが、正しくは夜行列車「おおぞら」で釧路に向かってた事が判明しました。釧路で快速に乗り換えましたが、根室行きへの接続時間が短かった為に撮影していません。
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行きで唯一撮影したのは、おそらく浜中町に広がる霧多布(きりたっぷ)湿原付近ではないかと思います。
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釧路から根室は快速で約2時間の道のりであり、始発便の納沙布(のさっぷ)岬へのバス接続はすぐに等しかったので、駅等の撮影は戻った後となりました。納沙布岬に着いて真っ先に見るのは、上の「四島(しま)のかけはし」のモニュメントです。その近くには領土奪還祈願の碑があります。
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北方領土・歯舞(はぼまい)諸島の貝殻島まではわずか3.7kmしか離れていない為、通常ですと近くに見えるのですが、この時は残念ながら霧が濃かった為、納沙布岬灯台でさえも霞んでいました。なお、バスを利用する際は事前に根室交通の窓口で切符購入しておくと、1割引きになります。
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納沙布岬観光を終え、根室駅に戻ってきました。終着駅という事で最果て感がありますが、実際には隣の東根室駅が最東端の駅なんですよね。但し、あちらは無人駅なので、有人駅の最東端は根室です。
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根室からは快速「はなさき」に乗ります。多分、行きに乗ったのも「はなさき」だったかもしれません。元々は同じ快速「ノサップ」だったものを1往復分だけ名称変更したものです。利用時は愛称「花咲線」のマークが付いていましたが、2006年以降無しとなったようです。はなさきの停車駅は、以下の通りです。

釧路・東釧路(下りのみ)・厚岸(あっけし)・茶内(ちゃない)・浜中・厚床(あっとこ)・落石(おちいし・下りのみ)・根室
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釧路到着時、JR北海道カラーのキハ40系と並びました。この後、特急「おおぞら」で札幌へ戻ります。
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結構疲れてたので、おおぞらでの車窓写真はこの1枚のみでした。比較的釧路に近い方で、短く現れる海沿いの区間だったと思います。この日は札幌宿泊でした。
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翌日はまず、小樽築港(おたるちっこう)へ。この年の3月にオープンした商業施設「マイカル小樽」(当時のサティ・ビブレ)に行く為でした。当時、施設内に「石原プロワールド」があり、そこを見学するのが目的でした。昔見ていたテレビ朝日のドラマ「西部警察」の資料が多く展示されてたのでそれがきっかけでしたが、あまり奮わずに早々に撤退しました。

その後、親会社のマイカルが2001年9月に倒産した事から「ポスフール」になり、2003年に現在の「ウイングベイ小樽」となっています。Wikipediaによれば、2013年時点で敷地面積で日本一だそうです(店舗面積では、埼玉県越谷市の「イオンレイクタウン」が最大)。小樽港マリーナ・石原裕次郎記念館にも近く、店舗からはたくさんの船が見えていました。
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札幌に戻ると、駅前でTVの生中継が行われていました。当時、ホテルに宿泊してもあまりTVを見た記憶が無いので知らなかったのですが、これは札幌テレビの看板番組「どさんこワイド」だったんですね。
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改札内に入り、721系と731系の並びを撮影しました。
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この日は北海道を離れる日だった為、札幌から特急「スーパー北斗」に乗りました。既に車両は函館で撮影済だった為、幕のみの撮影にしました。
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北海道最後は苫小牧停車中にて、遠くにいる日高本線用のキハ40系350番台を撮影しました。キハ130形で置き換えられた車両がその車両の置き換えに投入されるという、珍しい事例ですね。残念ながら1995年にしか乗っていないので、この車両には乗車していません。

これにて、北海道編は終わりです。都合により、この旅の話の次回更新は少し先になる予定です。