2015年08月

フィルムギャラリー(315)~1999年初夏旅(7)JR北海道・苗穂工場と函館本線・大沼駅の風景

27日はほぼ1日中晴れ、最高気温29.8℃・最低気温16.3℃でした。

本日も「フィルムギャラリー」です。今回も1999年初夏旅の話で、JR北海道・苗穂工場と函館本線・大沼駅で撮影をした話です。話の流れの関係上、撮影順とは組み替えています。
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この日はまず、苗穂駅に向かいました。残念ながら駅舎を撮影していないのですが、当駅の西側に見える跨線橋(写真奥の黒い橋)からはJR北海道・苗穂工場が見えるという事だったので、ここでの撮影が目的でした。
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多分、その道中の石材店にアンパンマンのキャラクター7体(アンパンマン・ばいきんまん・ドキンちゃん・メロンパンナちゃん・しょくぱんまん・カレーパンマン・ジャムおじさん)がいました。ばいきんまんだけ黒いので、リアル感があります。
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苗穂駅から西に進む事約500mで、目的の跨線橋に着きます。駅の北側に苗穂工場が広がっています。なお、苗穂駅は2018年に現在地より西へ300m移転・橋上駅舎化される予定なので、3年後には駅と跨線橋の距離が近くなります。跨線橋自体がサッポロファクトリー・アリオ札幌への近道らしいので、行き来は多いと思います。
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この部分は以前も紹介しましたが、ここに来た最大の目的というのがこの711系の旧塗色・S901編成試作車(試作車の部分は、後ろの2両)を撮影する為でした。多分、当時読んでいた鉄道雑誌から情報を入手して行ったと思いますが、旧塗色に会えたのはこの時限りで、4か月後に引退しています。
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その試作車編成の横を寝台特急「北斗星」が通過していきましたが、下からだったので先頭しか写らず…。
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当然ながら、通常塗装の711系も通過していきますが、この編成はよく見れば先頭・後方が3扉でしたね。
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架線柱に被りましたが、キハ281系が通過していきます。
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苗穂駅でも撮影していました。デビュー3年目の731系ですが、この車両から北海道にもロングシート車が定着していきますね。
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731系とキハ183系「スーパーとかち」の並びも実現しました。そういえば、先ほどの711系試作車の写真の中にも同じタイプのキハ183系が写ってたのですが、ハイデッカーの車両が写ってるのは僅かです。
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苗穂での撮影を終え、おそらく未乗区間の乗車をする為に大沼へ移動しました。ここでは、キハ40系の3両編成を撮影後、それらの分割の様子も撮影していました。函館~森間は2つのルートがあるので、サボにも「大沼公園経由」「(渡島)砂原経由」とあります。
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大沼駅の駅舎は現在でもこのような感じで、古い駅舎を改築しながら長年使用されているようです。
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この日全ての予定を終え、函館から特急「スーパー北斗」へ乗車します。夜には札幌から夜行列車に乗る為、このキハ283系に乗車しました。キハ183系に比べると、格段に早く感じたと思います。

この後も旅は続きますが、続きは次回更新します。

フィルムギャラリー(314)~1999年初夏旅(6)宗谷本線・稚内→名寄とJR北海道バス・深名線の車窓から

26日は全般には雲が多めながらも、昼前や夕方を中心に晴れ、最高気温26℃・最低気温20.5℃でした。今夜は少し気温が下がるようなので、十分にご注意ください。

本日も「フィルムギャラリー」です。今回も1999年初夏旅の話で、宗谷本線・稚内~名寄とJR北海道バス・深名線の車窓話です。最初の2枚分のみ、昨日もあったパノラマ撮影写真です。

宗谷岬の観光を終え、稚内駅に10:30頃に戻ってきました。これまでは、次に乗るのは13時前に出ていた急行「サロベツ」でしたが、この時は10:40頃に出ていた普通・名寄行きに乗って稚内を離れました(但し、この列車は通過駅が多数あり)。
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帰りも同じように一瞬の海沿い区間で撮影しましたが、画面が明るすぎて利尻富士は実際に見えたのに写らず…。
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その後、抜海(ばっかい)・兜沼(かぶとぬま)各駅付近でパノラマ撮影していました。
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パノラマ撮影は終了にして普通に戻すと、先ほど写らなかった利尻富士がはっきりと写っていました。この写真だと陸地にあるように見えますが、海の向こうにある山が見えてるんですよね。
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普通列車なので、これより停車時間のある駅で撮影していました。最初は、豊富(とよとみ)にて。この時のみ駅の外に出られましたが、全く覚えていません。平日の日中のみ、窓口営業しているようです。
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続いては、幌延(ほろのべ)にて。1987年3月までは、ここから留萌まで国鉄・羽幌線が分岐していました。当時の急行でもここでは停車時間が長めに設定されていた為、硬券入場券等の購入時間に充てていました。沿岸バスの出張所もあったのですが、2013年に撤退したようです。
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幌延にて、乗車したキハ54系を撮影しました。何故か分かりませんが、釧網本線で使用している車両が充当されていたようです。
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反対列車で急行「礼文(れぶん)」(旭川~稚内)が到着しました。2000年に「スーパー宗谷」に統合されるまで、最後の非冷房車で運転された急行だったようです。
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続いては、音威子府(おといねっぷ)にて。多分、この時は撮影しか出来なかったように思います。名物の黒い駅蕎麦は絶品ですので、立ち寄られた際は食べてみてください。
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かつての国鉄・美幸(びこう)線の分岐駅だった美深(びふか)は停車時間が短かった為、反対方面の普通列車のみ撮影しました。
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稚内を出発しておよそ3時間半で、終点・名寄(なよろ)に着きました。ここからは、1995年に廃止された深名線の代替バスへ乗り換えます。当時の「北海道フリーきっぷ」は一般バス路線にも有効だったので(現状の「北海道フリーパス」も同じ)、便利でした。駅前に14:30発の幌加内(ほろかない)行きが待機しています(但し、撮影時の表示は「名寄駅」のまま)。
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JRの廃止代替バス路線ではありますが、鉄道線自体が自然満載であった+運行ルートの関係により、バス車内からその痕跡を探すのは結構難しいと思います。夏季は一部の便が朱鞠内(しゅまりない)湖畔へ立ち寄る為、この時はその便を狙って利用しました。

鉄道時代より増便+夏は朱鞠内湖畔へも立ち寄る事から、湖へ歩いていくしかなかった鉄道時代よりは便利になったものの、やはり赤字路線である事に変わりはないので、2002年以降は減便が進められてきました。現状は、区間によって鉄道より若干多い程度です。

なお、右下の旧型客車の撮影場所がよく分かりませんが、多分名寄で撮影したものと思われます。この日の写真はこれで終わりですが、当日は札幌で宿泊したと思います。

続きは次回更新します。

フィルムギャラリー(313)~1999年初夏旅(5)最果てのノシャップ岬・宗谷岬へ

25日は台風15号の影響によって強風と風雨が午後まで続き、最高気温29℃・最低気温18.4℃でした。幸い、大きな被害はありませんでしたが、皆様のエリアは大丈夫だったでしょうか?

本日も「フィルムギャラリー」です。今回も1999年初夏旅の話で、ノシャップ岬・宗谷岬訪問の話です。

一番の目的地は宗谷岬ですが、当時の始発便の出発は8:10で2時間近くあった為、バスの本数が多いノシャップ岬へ向かいます。当時は駅近くの商店街にあるバス停からの利用でしたが、現在は駅からも乗降可能なようです。
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バスに乗っておよそ10数分で目的地・ノシャップ(野寒布)岬に到着です(バス停下車後、少し歩きます)。空が白んでいるのでぼやけているように見えますが、実際はとてもいい天気で、ここからも利尻富士がはっきり見えました。
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ここには稚内灯台・ノシャップ寒流水族館もありますが、いつも早朝の訪問だったので水族館を見学する事は出来ませんでした。再び稚内駅へ戻り、当時は駅から徒歩3分の場所にあったバスターミナル(=かつての宗谷バス本社)から宗谷岬行きに乗ります。
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バスに乗っておよそ1時間程度で目的地・宗谷岬に着きました。やはり、この「最北端の碑」にたどり着くと遠くに来たなあ…と感じますね。なお、少し手前のバス停に「宗谷」というバス停があるので、岬と間違わないように案内が流れていました。
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ここ、宗谷岬には様々な施設がありますが、この時は40分程度で引き返さなくてはならない為、急ぎ足で見学します。

これより、撮影したものを個別に紹介していきます。
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(左)あけぼの像…北海道の牛乳生産量100万トン突破と飼育乳牛50万頭突破を記念し、1971年に建立された像です。

(中)間宮林蔵の立像…初めて日本から樺太(からふと・または「サハリン」)に渡り、樺太が島である事を発見した探検家です。その功績が称えられ、海峡の名にその名を残しています(間宮海峡)。

(右)祈りの塔…1983年にサハリン西海域で発生した大韓航空機爆破事故の遭難者の慰霊と、歴史を繰り返さぬよう願って建てられたものです。
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(左上)平和の碑…1943年10月、宗谷岬沖で日本海軍によって撃墜されたアメリカ海軍潜水艦「ワフー号」の乗組員80名と、ワフー号によって日本海に沈められた日本商船5隻の犠牲者690名を慰霊する為、1995年に建立されました。

(左中)宮沢賢治文学碑…彼の文語詞「宗谷(二)」の一説を記したものです→「はだれに暗く緑する宗谷岬のたゞずみと北はま蒼に唾るサガレン島の東尾や」

(左下)宗谷岬からの各都市等への距離を示した看板…左下に「サハリンまで43㎞」の記述があります。

(右上)宗谷岬灯台…岬の突端から120mの丘に建つ灯台です。北海道では3番目に古い灯台だそうです。

(右中)宗谷丘陵展望休憩施設「ゲストハウスアルメリア」…無料の展望施設で、施設内のレストランでは宗谷黒牛のステーキなどが食べられるようです。営業時間外だった為、遠景のみ撮影。

(右下)おそらく、サハリン方面を撮影したものだと思いますが、空が白んでるのでサハリンははっきり見えません。

残りの写真は、当時所有していたカメラに「パノラマ撮影機能」があってそれを活用した為、明るさ・画像サイズにやや難ありです。
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先ほどの写真にはありませんが、「旧海軍望楼」という施設の上が展望台のようになっており、そこから駐車場に居た夕鉄バスの貸切車や、駐車場から撮影した最北端の御土産屋「柏屋」などを撮影したものです。
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その写真の中に、当時乗車した宗谷バスが写っていたので、抽出してみました。宗谷岬はかつて「大岬(おおみさき)」という名前だった為、路線網が再編される前のバスの始終点も大岬でした。

この後、再び鉄道旅に戻りますが、続きは次回更新します。

フィルムギャラリー(312)~1999年初夏旅(4)急行「利尻」最後の乗車&かつての宗谷本線の終点へ

24日は昼頃まで晴れましたが、以降は曇って夕方からは時折弱い雨になり、最高気温29℃・最低気温18.4℃でした。台風15号が接近しているので、夕方に対策をしておきました。進路にあたる地域の方は、十分にご注意ください。

本日も「フィルムギャラリー」です。今回も1999年初夏旅の話で、急行「利尻」最後の乗車と、かつての宗谷本線の終点があった場所への訪問の話です。
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小樽交通記念館(小樽市総合博物館)への訪問を終え、札幌に戻ってきました。これから乗る「利尻」と同時刻に発車する急行「はまなす」の客車には、ドラえもんの登場キャラクターのステッカーが貼ってありました。
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車内が真っ暗なので見えにくいですが、別のホームには今年引退となった711系が留置されていました。
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撮影時は最終乗車になると思ってませんでしたが、これが利尻に乗る最後の瞬間となりました。721系の普通電車と並びます。22時ちょうどの発車だったので、稚内まではちょうど8時間の道のりです。
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さすがに夜間の撮影は無理ですが、初夏の北海道の朝は早く、3時を過ぎれば徐々に明るくなってきます。撮影場所は忘れましたが、音威子府(おといねっぷ)以降~抜海(ばっかい)付近だと思います。
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そして、宗谷本線最大のハイライトといえば、抜海~南稚内間で一瞬現れる海沿いの区間です。先ほどの車窓に利尻島にある「利尻富士」が見えていなかったので今回も見えないかなあと思ってましたが、周辺が白っぽくなりつつもしっかりと山頂まで見えました。ここまできれいに見られたのはこの時だけです。
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利尻乗車の旅の終わりは、たくさんの乳牛たちに迎えられました。
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列車は6時ちょうどに終点・稚内に到着しました。旅人たちは、それぞれの目的地に向かいます。
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最後に訪れた稚内駅は、まだ先代駅舎の時代でした。自分はこの後、ノシャップ岬・宗谷岬に向かいたいのですが、バスの時刻にはまだ早いので、かつて宗谷本線の終点があった場所に向かいました。
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その場所とは、稚内駅の北側にある「稚内港北防波堤ドーム」です。この場所には、稚内駅が「稚内港(わっかないみなと)駅」と名乗っていた時代の1938年(昭和13年)10月、稚内桟橋駅が作られました(但し、稚内港駅の構内乗降場として扱われる)。

樺太(からふと・現在のロシア)への航路(稚泊航路)利用者向けに作られたのですが(航路自体は1923年より開設)、終戦9日後に最後の船が出航し、駅としての役目を終えました。風が強い土地柄、すごく頑丈そうです。
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稚内港からの周辺風景も撮影してみました。この日は比較的穏やかな朝だったようですね。

この後、ノシャップ岬・宗谷岬に向かいますが、続きは次回更新します。

フィルムギャラリー(311)~1999年初夏旅(3)リベンジ・小樽交通記念館PART3

23日も1日中晴れ、最高気温31.8℃・最低気温18.4℃でした。

本日も「フィルムギャラリー」です。今回も、1999年初夏旅の話です。小樽交通記念館への再訪問の話PART3で、撮影した展示鉄道車両の残りの写真です。フィルム写真の時代なので、全車両は網羅出来ていません。
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○ED75-501…北海道での交流電化用試作機として1966年に製造されました。試作機である事と構造の関係から、岩見沢以北での貨物列車運転に使用され、1986年に引退しています(準鉄道記念物)。
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○キハ22-56…キハ20系の寒冷地仕様として、1958年~1965年頃に主に北海道に配備された車両です。廃止されたローカル線の交通公園では朱色一色タイプが多く残されていますが、国鉄色は結構珍しいかもしれません。廃車間際に1回だけ、298号へ函館本線で乗りました。
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○キシ80-34…「シ」は食堂車を指し、気動車では初めて製造された食堂車だったようです。1986年までに廃車されているので、さすがに知りませんでした。
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○キハユニ25-1…かつての郵便車と荷物車の機能を1つにしたもので、寒冷地向けに7両が製造されたそうですが、残ってるのはこの車両だけのようです。
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○キハ56-23・キロ26-107・キハ27-11…1961年から北海道の急行向けに投入された車両です。キロは国鉄時代に廃車された為に乗れませんでしたが、キハ56・27は快速「ミッドナイト」を中心に何度か乗れました。
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○DD13-611…1958年~1967年にかけて、構内入れ替え作業用に製造された機関車です。あまり目立たない存在ですが、後のディーゼル機関車開発の礎となったようですね。当館の他、三笠鉄道記念館・鉄道博物館(大宮)・津山扇形機関庫などで保存車両があるそうです。
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○DD16-17…ローカル線に残っていたSLの置き換え用として、1971年から投入された機関車です。Wikipedia情報では、JRに残るのは2両のみだそうです。
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○DD51-615…現在でも多くの車両が稼働しているイメージがありますが、会社によって大きく差がありますね。写真を見る限り、救援車の方に連結・展示されているようなので、昨日紹介した貨車の方の機関車は撮影していないようです…。
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○DD14-323(左)…北海道という土地柄、ここには多くの除雪車が展示されています。DD14は1960年から投入されましたが、JRに残るのは東日本の3両のみです。

○DD15-37(右)…1962年から投入されたラッセル車です。JR西日本(北陸エリア)で7両が残っているようですが、老朽化が進んでキヤ143形に置き換えられる予定だそうです。
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○キ1567…複線区間の除雪用に投入された車両です。1961年~1968年にかけてキ100形を改造したもので、1987年までに廃車となり、保存車もここを含めて3両のみのようです。
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○キ752(左)・キ718(前回の更新分で、名前違っていました…)…1926年にアメリカのジョルダン社から輸入した車両を基に、当時の鉄道省が製造したラッセル車です。北海道内でこの2両を含めて5両が各地で保存されているようです。
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○キハ03-1…国鉄における「レールバス」として1954年から投入された車両のうち、北海道に投入された形式です。キハ03は全部で20両製造されましたが、系列車も含めて残るのはこの1両のみです(準鉄道記念物)。
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おそらく、これはキハ03-1の車内の様子と思われますが、2人で掛けるにはちょっと狭いシートのように感じます。
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さて、実はもう1両、このような車両を撮影していたのですが、近年訪問された方のブログ等を見てもこの車両は居らず、何だったのかが分かりません。形からすれば木製車両だった時代のラッセル車を再現したもののようにも見えますが…?

以上で、小樽交通記念館(小樽市総合博物館)での写真紹介は終わりになります。次回以降、旅の様子がしばらく続きます。
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