2014年05月

5月のDoodleとランチパック購入報告。

31日も1日中晴れ、最高気温31.2℃・最低気温14.9℃でした。
 
本日は月末につき、Doodleとランチパック購入報告です。まずはDoodleから。今月は8回確認しました。1枚ずつにすると長くなりすぎるので、1つにまとめ編集しました。最後のルービックキューブのみ、画像を動かせたので、2枚掲載にしています。
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・2日…樋口一葉生誕142周年
・5日…こどもの日
・11日…母の日
・12日…ドロシ-・ホジキン生誕104周年(イギリスの科学者:「X線図折法による生体物質の分子構造の決定」により、1964年にノーベル化学賞受賞)
・16日…マリア・ガエターナ・アニェージ生誕296周年(イタリアの哲学者・数学者:微分・積分の教科書を初めて著す)
・19日…ルービックキューブ誕生40周年(この画像のみ、最後に掲載)
・21日…メアリー・アニング生誕215周年(イギリスの化石採集者・古生物学者)
・27日…レイチェル・カーソン生誕107周年(アメリカの生物学者:1960年代に環境問題を告発)
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ランチパックはかろうじて1種類のみ購入しました。先月購入した、タニタ食堂シリーズのもう1種類「パンプキンサラダと鶏肉のトマト煮込み」です。やはり、231kcalという低カロリーがウリですが、このシリーズは味もしっかりしてて好きです。

フィルムギャラリー(28)~カートレイン

30日も1日中晴れ、最高気温29.9℃・最低気温14.6℃でした。
 
本日も「フィルムギャラリー」です。今回は、カートレインです。
 
カートレインは1985年に汐留~東小倉間で運転を開始しました。当初は急行列車の扱いでしたが、後に特急列車になりました。1999年頃までで姿を消したようです。Wikipediaによると、以下のような列車が存在しました。
 
・カートレイン北海道(恵比寿・浜松町~白石)
・カートレイン釧路(白石~新富士)※急行列車扱い
・カートレインさっぽろ(東青森~白石)
・カートレインユーロ名古屋(熱田~東小倉)
・カートレイン九州(汐留・恵比寿・浜松町~東小倉)
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こちらの写真は、1991年8月に門司駅で撮影しました。客車にジョイフルトレイン「ユーロライナー」が使用されているので、「カートレインユーロ名古屋」だと思われます。編成は、12系客車1両(電源車として)・ユーロライナー2両・マニ44形(自動車輸送用貨車)4両だったようです。
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こちらの写真も、同じ月に広島駅で撮影しました。こちらの貨車は青い塗装になっており、おそらく「カートレイン九州」と思われます。当初、この列車は東京~東小倉間の設定のみだったようですが、後に東京~広島間の利用が認められてるので、写真は貨車切り離し作業中のものと思われます。
 
ちなみに、貨車の制約から5ナンバー車の積載が出来なかった例が多かった事や、国鉄分割民営化時の取り決めにより、自動車積み降ろし作業の手数料として両端の会社が2割ずつ運賃・料金分配を受けて残りを運行される区間の営業キロに比例して各社分配する、という事から九州には不利であり、意欲的でなかった事などが衰退理由のようです。

フィルムギャラリー(27)~JR西日本・寝台特急「トワイライトエクスプレス」

29日は1日中晴れ、最高気温29℃・最低気温13.2℃でした。
 
本日も「フィルムギャラリー」です。今回は、JR西日本・寝台特急「トワイライトエクスプレス」です。
 
既に報道等でご存知だと思いますが、トワイライトエクスプレスの来年春での廃止が発表されました。車両の老朽化を理由としていますが、明らかに北海道新幹線開業に向けた準備と北陸新幹線開業に伴う並行在来線の分離・そして2017年度誕生予定の新しい寝台特急への資金集中も理由に入っていますよね。
 
寝台特急が人の移動手段ではなくて豪華な旅の手段になった今、ますます庶民から遠のいていく感じがしました。誕生から25年で消滅、ちょっと早い気もします。
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さて、過去の旅行でトワイライトエクスプレスを撮影しているのか調べてみた所、フィルム7枚・携帯1枚・デジカメ2枚の写真を見つけました。
 
こちらの5枚(全てフィルム)は、1994年に敦賀駅にて列車の待ち時間で撮影したものだと思います。多分、この時が初遭遇だったのではないでしょうか。
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翌年、今度は北海道旅行中におそらく千歳線のどこかの駅で遭遇しています。北海道内は非電化区間走行になる為、牽引車輌も青いDD51になっています(右上は、新大阪駅にて携帯で撮影したもの)。
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そして、2009年に北陸を旅した際に、敦賀の車庫にて同じ緑色の機関車の写真を走行中の電車からデジカメ撮影していました。上がヘッドマークの無い側のもの、少し分かりにくいですが下が「日本海」のヘッドマークを付けているものです。

フィルムギャラリー(26)~鹿島臨海鉄道・7000系「マリンライナーはまなす」

28日は全般に晴れましたが、夕方から曇り、最高気温25℃・最低気温10.5℃でした。
 
本日も「フィルムギャラリー」です。今回は、鹿島臨海鉄道・7000系「マリンライナーはまなす」です。
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この写真は、同社の路線網から考えても水戸駅で撮影されたものと思われます。当時、北海道旅行の帰りに水戸線に乗った記憶があるので、その時に訪問してホームにいた車両を撮影したのだと思います。
 
この車両は1992年に日本車輌製造で1編成のみ製造された気動車で、東海村への原子力発電所建設の見返りに茨城県へ公布された「電源移出県等交付金」を財源として製造されました。車両は茨城県が所有しているそうです。
 
1998年まで車体に描かれている快速「マリンライナーはまなす」として運転されていましたが、廃止以降は6月のあやめ祭り期間中に鹿島線・潮来駅まで運転される臨時列車や正月三が日に運転される程度のようです。
 
この写真は1999年6月に撮影したので、潮来までの臨時列車として使われた時のものと思われます。普段は貨物駅の神栖駅に留置されているようですし、意外に遭遇しにくい車両なんですね。

フィルムギャラリー(25)~1991年夏の信州エリアの車両色々

27日は全般には晴れましたが、朝と昼過ぎは少し曇って黄砂も若干飛び、最高気温25.4℃・最低気温14.4℃でした。
 
本日も「フィルムギャラリー」です。今回は、1991年夏の信州エリアの車両色々です。前回分の続きです。
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佐久間レールパーク見学後、飯田線を乗り潰す為に辰野まで向かいました。何故か途中駅の写真は七久保のみです。
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辰野からは、昨年引退したクモハ123-1「ミニエコー」に乗車しました。この車両に乗ったのも中央本線辰野支線に乗ったのも、この時限りでした。
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塩尻では、当時の主力であった165系の姿もあります。中央西線ではこれが活躍していましたからね。
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その後、大糸線に乗る為に松本に移動・宿泊しました。このエリアらしい、山に囲まれた風景が多く、途中EF64牽引の貨物列車とすれ違いました。スカ色の車両が見られたのも、この時代ならではでしょうか。
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翌日の大糸線の電車は、169系で3両編成だったように思います。車窓も撮影してはいたのですが、掲載するほどの写真が無いので省略です。電化区間&JR東日本と西日本の境目になる南小谷にて乗り換えです。
 
当時、非電化区間で使われていたのは、キハ58系でした。東日本と同じ緑塗装ですが、こちらの方が緑の比率は多いですね。この後、糸魚川に抜けて北陸本線経由で戻っていますが、その写真が見当たらないので、この流れでの紹介はここまでです。
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