本題に入る前に…福知山線の脱線事故から今日で9年が経ちましたが、いつまで経っても傷が癒えるものではありませんね。25日も1日中よく晴れ、最高気温23.4℃・最低気温3℃でした。
本日より、新しいカテゴリの更新を始めます。タイトルは「フィルムギャラリー」です。内容的には以前書いていた「鉄道アーカイブギャラリー」と同じですが、大きく違う点があります。
増税前、フィルムスキャナーを手に入れましてネガから写真を引っ張り出せるようになり、以前より画質アップします。そして、これまで掲載出来なかった写真も引っ張り出せますので、以前更新したもの以外も出てきます。
基本的には1990年代に旅したものからとなり、まだカメラ技術も未熟な時のものもあって写真の質は劣るかと思いますが、ご了承ください。更新のタイミングによって、掲載写真が1枚のみの場合とレポート形式になるものがあります。
最初は、1991年に廃止された岡山の「同和鉱業片上鉄道」の乗車レポートを数回に分けてお送りします。まずは、片上鉄道の基本データから。
片上鉄道は柵原(やなはら)鉱山で産出される「硫化鉄鉱」を片上港まで輸送する事を目的として建設され、1923年1月に片上~和気間・同年8月に井ノ口まで(のちに駅廃止・備前矢田から1.1km)、そして1931年2月に柵原まで33.8kmが全線開通しました。
しかし、円高などによって柵原鉱山の鉱石産出量減少と輸送をトラックに切り替えた事によって経営が成り立たなくなり、1991年6月30日をもって廃止されました。当初は3月で廃止予定でしたが、バス代替の準備が間に合わず、3か月先延ばしとなりました。
日生運輸(備前片鉄バス)によって片上~周匝(すさい)~柵原病院前間で廃止代替運行されていましたが、2011年9月に周匝より先の区間の補助金を沿線自治体の美咲町が打ち切った為、周匝~柵原病院前間は美咲町コミュニティバスでの運行に変わりました(どちらも休日運休)。
旧・吉ヶ原(きちがはら)駅には1998年に「柵原ふれあい鉱山公園」が整備され、毎月第一日曜日に動態保存されている車両の展示運転も行われています。ここには「コトラ」という駅長猫もいるみたいですね。
さて、片上鉄道に最初で最後の乗車をしたのは、廃止9日前の1991年6月21日でした。起点であった片上駅は、赤穂線の西片上駅から徒歩5分の場所にあり、バスの待合所としても機能していました。跡地はマックスバリュ(スーパー)・エディオン(家電店)になっているそうです。
おそらく、片上11:27頃発の列車に乗る為に少し待ち時間があり、その時間を使って駅構内の撮影をしたのだと思います。当時、運転本数は7往復くらいだったようですが、1往復だけ客車列車もあったので、客車や機関車も当時の構内には留置してありました。
列車が入線する時間になり、入ってきたのは「キハ802」という1962年・日本車輌製の気動車でした。元々は秋田の小坂鉄道(1994年旅客営業廃止、2009年廃止)でキハ2100形として運転され、1981年に当地に移籍したものです(車両は1995年に片上にて廃車されたそうです)。
乗った日は金曜日でしたが、廃止を間近に控えて1両の列車はほぼ席が埋まっていたと思います。平日という事もあって、大半がお年寄りだったように記憶しています。次回更新では、和気駅・柵原駅での様子を中心に書く予定です。
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